第2章:友情(小説「悔恨」)
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「これからもよろしく頼むね、谷中君。」
「いろいろあったけど取りあえず乗り切った。これからは慎重に進めていかないかんばい。
資金管理は俺がするから、あんたは取引先との信頼回復が急務やけんね。」
生まれも育ちも博多。生粋の博多っ子である谷中は、若い子はほとんど使わなくなったチャキチャキの博多弁で捲し立てた。
福岡市の繁華街中州の入口にある、小さな創作料理の店≪おふくろ≫。
二人は毎日のようにこの店に訪れては酒を酌み交わしていた。
株式会社ニュートンスクエア代表取締役 井川純二、そして二年後には同社代表取締役に就任することになる現取締役管理部長 谷中悟である。
井川純二と原田弘一朗が四年前に創業した株式会社ニュートンスクエアに、半年前、総務部長として入社した谷中悟は原田弘一朗の大学時代の数少ない友人である。株式会社ニュートンスクエアの重役である三人はみな同い年である。
創業者である井川純二が、遠慮気味に話しているのに対し、中途入社で肩書上も取締役とはいえ部下にあたる谷中悟の、横柄とも聞こえる物言いは、決して博多弁だからということだけでは無い。
共同創業者の一人、原田弘一朗の友人であるという事実は、井川純二に遠慮させた。
また、この頃の株式会社ニュートンスクエアは売上高も毎期200%以上の成長を遂げ、創業4年目にして売上高13億円、設立時6名だった従業員も70名を超え、急速な事業拡大に対して資本金、運転資金ともに綱渡りの状態であった。
幸い取引先が東証一部上場企業であり、昨今巷で話題の黒字倒産の危険を抱えているという程ではなかったが、三人による資本金増資、短期または長期的な役員貸付金により、会社は運営されていた。そしてこの頃、井川純二の捻出資金を谷中悟のそれが上回っていた。
同年齢である三人のパワーバランスは原田弘一朗>谷中悟>井川純二となっており、遠くない将来、原田弘一朗>谷中・井川また原田=谷中・井川へと移り変わってゆく。
三十路を迎えたばかりの三人、結婚四年目を迎え下戸である弘一朗。
独身貴族で酒好きの純二と悟。二人の結託は、考えてみれば自然な流れのようにも思える。
弘一朗は半年前のファミリーレストランでのことを思い返しながら、悔し涙とも悲しみの涙ともとれるそれを堪えながら震える声で何とか絞り出した。
『あんたにそんなことしてもらうつもりはない。ましてやそれがあんたの母親の金なら尚更だ。』
「違うとよ。この会社に来て思ったと、力になりたいって。」
『だとしても、なんで俺を通り越して、谷中に相談しとんか?おかしいやろうが、応えろ純二』
弘一朗は感情をむき出しにして、18歳まで過ごした田舎の方言で井川を問い詰めた。
「いや、これ以上はらちゃんにお願いするのは申し訳なくて・・」
『だからといって谷中に相談するのはおかしい。そもそもはお前の勘違いした浪費が原因じゃないか』
弘一朗の言葉に純二は俯いて無言のままだった。
「良いやない、俺が出したいっていいよるんやけ。これでみんな気を使うことなく、やりたいようにやって行こうや。」
谷中悟は二人の沈黙を打ち消すように力強く言った。
谷中の動きは早く、純二に相談を持ち掛けられた翌日には資金捻出の許しを母親から取付けていた。
さらにこの話し合いが終わればその足で現金を受け取りに行くという。三人揃って。
『わかった。久しぶりにあんたのおばちゃんに挨拶するか。』弘一朗は作り笑顔を浮かべ、小さな小さな声で呟いた。
谷中悟の運転する新型コンパクトカーの助手席に座り、弘一朗は半年前のそれを思い起こしていた。
「いいチャンスじゃない?これからまだまだ成長して行く業界だし、俺と原田の信頼関係は揺るぎない。なんといっても、当社が、いや俺が株式会社ニュートンスクエアを支えて行くよ。谷中君も今の仕事にくすぶっているなら、いやくすぶってなくても新しい会社は魅力が詰まっているよ。」
原田達よりも7才年上で、株式会社ニュートンスクエア最大取引先である株式会社イーロン 第二営業チームリーダーで、株式会社ニュートンスクエアの担当者でもある鏡庄司
は、広いテーブルに唯一置かれたチーズハンバーグを頬張りながら言った。
「そうですね。今の仕事に不満や、勿論、不安もないです。好きで選んだ仕事ですから。ただ、原田が何か困っていたり、今、僕の持っているスキルでお役に立てることがあるなら前向きに考えてみようかなと思っているところです。」
谷中は悠然と答えると空に近いグラスを傾け、氷を舐めた。
クチャクチャと忙しく口を動かしながら、
「そうだよね。まだ転職して1年余りだよね、確か?ゆっくり考えたらいいよ。でも谷中君の会社も業界最大手とはいえ子会社?だよね。本体とは生涯賃金も違うし、倒産ということも無くはないよ。」
鏡庄司の言葉には(俺は東証一部上場企業の本体本流、安泰だ)という嫌らしさに満ちていた。ここまで来て、弘一朗が初めて口を開いた。
『旅行業界で働こうと大学時代の仲間みなで語り合っていた頃が懐かしいよ。結局、それを実現したのは谷中だけだな。しかもその後、子会社とはいえ業界最大手に転職とは、俺ら三流大学出身者からは考えられない。がんばったんだろうなと素直に思うよ。
ましてや転職して一年余りの今、うちに来いとは言えない。
うちの会社が倒産しないとも言い切れない。
夢や希望はあるのかもしれないけど、あんたに助けてほしいとも思っていない。
ただ、チャレンジするなら若いうちがいいのだろうけどな。
ゆっくり、慎重に考えたほうがいいよ』
そこまで話すと、水滴でいっぱいになったアイスコーヒーを飲もうとしたところで止めた。
「わかっとうって。だけん考えるっちいいよろうもん。」
この日、谷中が使った博多弁はこれだけだった。
「終わった?じゃ行こうか。奢るよ、えっ良いの?それじゃあごちそうになるね。」
軽い口調の鏡の言葉でお開きとなった。
店を出て、各々の散らばる時になって、ピカピカに洗車された中古ではあるが、現行モデルの高級車を指さし、鏡が言った。
「原田、明日の土曜日オートバックス付き合ってよ?タイヤとホイール新しいやつにしようと思ってさ。」
「別にいいですけど、じゃ適当に電話下さい。あっ後、迎えに来てね。」
原田は鏡とは7才離れていたが鏡の発言にあったように、対等な、良好な信頼関係を築いていた。
「わかった。電話する。じゃあね。谷中君も気を付けてね。」
「はい。ありがとうございました。」谷中が言い終えるのも待たず、鏡は自慢の車で颯爽と走り去っていった。
『じゃあね。』原田が車に乗り込もうとした時、
「いいね、あんたは。俺なんかこればい。」そう言って谷中が乗り込んだのは“TDBトラベル”と刻まれた社用車だった。
あの夜、何故あのメンバーで、あのような集まりが開かれたのか、何度記憶を辿ってみても思い出せないでいる。
谷中の運転する新型コンパクトカーは母親のマンションに到着した。
先頭には谷中、続いて原田、井川の順でリビングへ上がった。
外観はとてもおしゃれで華やかだが、部屋の中はこじんまりしていて、お世辞にも豪邸とは程遠い。(まあ博多のマンションはこの手の見かけ倒しが実に多い。)
(こんなところに住んでいて、よく大金をポンと出せるものだ。)
(贅沢をせず、切り詰めて切り詰めて、貯めた大事なお金なのに申し訳ない。)
二つの異なる感情の整理もままならぬまま、谷中の母親が姿を見せた。
「原田君久しぶり。がんばっとるらしいやない。まぁ頑張りが足りんけ今ここにおるんやけどね。あとあんたが井川君?顔色の悪い、不幸をしょいこんどるね。」
チャキチャキの博多弁で先制パンチを頂戴した。
『おばちゃんこの度は本当に申し訳ありません。』
弘一朗が言い終えるのも待たず、
「ごはん食べていき。そこ座り。」
この年代のお母さま方は、なにかあると(ごはん食べとうね?食べていき。)である。
大根の味噌汁。鯖の塩焼き。卵焼きとひじき。それと明太子だ。
谷中の母親が準備してくれたおふくろ料理を無言で食べ進めていたそのとき、
「会社のことはようわからん。とにかく頑張り。あとあんた達、大金持っていくのに借用書のひとつも持ってきたんかね?」
谷中の母親の言葉に一番に反応したのは弘一朗だった。
「すいません。急なことだったので、後日連名にてきちんとしたもの持って来ます。」
慌てて答えたものの、なんで俺が謝らないといけないんだ。そもそも井川だろ。本当にイライラさせる奴だ。と思いながら井川の様子を確認しようと顔を向けたその時、悟の母親から想定外の言葉が飛び出した。
「そげなんいらんけん。頑張り。ただ会社に出すといってもバカ息子がおるからやけんね。この子がくびになっても困るから、取締役として経営陣に入りなさい。わかった?」
息子に目を向け、その意思を確認したのち、
「いいよね?それで。原田君」
「はい。力を合わせて頑張ります。」
そう答えるのが、精一杯であった。
ここに、谷中取締役の誕生である。
実に見事で華麗な、取締役会など無視した異例の事態だった。
そしてその貸付金はなんと、谷中取締役からの役員貸付金として会社に入ることとなった。
こうして谷中悟は、株式会社ニュートンスクエア取締役の地位と、決して少なくない、会社への貸付金というカードは手にした。
入社からわずか1年も経っていない、5月のことである。
「谷中君取締役になったらしいね。どういうこと?」
株式会社イーロン鏡庄司は怪訝そうに言った。
『まあ小さな会社だし、これからの事業展開考えれば責任者は何人いても困りませんよ。』弘一朗も何の関心もないかのように答えた。
「それにしてもあまりにも早すぎないかい?設立時に、お前が前の会社から引き抜いてきた、いや原田さんならとついてきてくれた創業メンバーも8名程残っている。確かに会社を去っていった奴らもいたが、上に立つのは外部から招聘した人ばかりというんじゃ、みんなやる気を失くさないか?」
鏡もたまにはまともなことを言う。
株式会社ニュートンスクエアが株式会社イーロンと行っていた事業は通信商材販売代理事業だ。
時には場当たり的に一千万円を超える資金が必要で、鏡は取引先支援の名目で、株式会社イーロンからニュートンスクエアへの資金援助に尽力してくれていた。
また、それでも追いつかない時には自らの貯金から短期的に貸してくれたことも一度や二度ではない。それほど、ニュートンスクエアの成長を、原田弘一朗に賭けていたのだろう。
それだけに、自分に何の相談も無く役員人事が行われたことが面白くなかったのだ。
弘一朗は耳が痛かった。鏡が憤慨しているからでは無い。
実は、谷中の取締役就任と前後して、ある一人の人物を会社に向かい入れることとなっていた。
原田光太郎。
そう、弘一朗の父親である。
鏡と弘一朗は、以前にも増して強い信頼関係を構築しており、弘一朗の父 光太郎が入社することに、微塵の反対も疑念も持ち合わせていないことは弘一朗にも分かっていた。
また、社内においても弘一朗に意見できる人間は居なかった。純二や悟でさえも。
『問題ないですよ。なんかあっても抑え込みます。』
「それならいいんだけどね。ここ奢ってくれる?ありがとう。」
『はいはい。』
淡々と答えた弘一朗の気持ちが、晴れることは無かった。
常務取締役 原田光太郎 弘一朗が父に与えた役職である。ただし、株式会社ニュートンスクエアではなく、株式会社福岡システム。
弘一朗が考え抜いた末に設立した新会社だ。代表取締役には弘一朗が就いた。
設立時こそ事務所の共有はあったが、それ以外には、ニュートンスクエアとは資本関係の無い独立性のある法人だった。
この新会社設立は、その後の弘一朗の人生に大きな暗雲をもたらすこととなる。
あの、夕焼け前の妖艶なひかりに部屋全体が包まれた蒸し暑い日の二年前のことである。
1章:ひかり
2章:友情
3章:変化
4章:親子の関係
5章:勝負
6章:破滅
7章:悟の狙い
8章:父の想い
9章:純二の視点
10章:回想
最終章:闇の真実
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