第4章:親子の関係(小説「悔恨」)
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井川純二は会社設立の為の資本金一千万円を、両親から借りていた。
借りたというより、御祝い金として頂戴したというほうがしっくりくるかもしれない。
なんといっても大金持ちだ。
一方、原田弘一朗は設立にあたって一円も出していない。
株式会社ニュートンスクエア 代表取締役井川純二 顧問 原田弘一朗これがスタート時の肩書である。
弘一朗が顧問であることは株式会社イーロンとの契約締結時の密談と大きく関係する。
弘一朗はとても目まぐるしい毎日を送っていた。生活の拠点を福岡市に移し、設立間もない株式会社ニュートンスクエアの体制づくりに、奔走していた。ただし、忙しい理由はそれだけではない。私生活において6年付き合った彼女と籍を入れたのだ。
名古屋と福岡での遠距離恋愛の最中、彼女と、その母親からも、将来の事はどう考えているのかと見えない圧力を受けていた頃で、株式会社ニュートンスクエア参画へ踏み切らせる大きな要因となったことは間違いない。
お互い煩わしいことは嫌いで、結婚式こそ行わなかったが、両家ご挨拶から結納まで、礼節に反することの無いよう最低限のことはした。
元々、福岡市内にワンルームマンションを契約しており、転勤中も契約継続して残しておいたのだが、結婚するとなればそこでいいはずもない。
特にこだわりのない新婚の二人は、大した内覧もせずに、福岡市中心部から車で15分くらいの、少し静かな住宅街にある3LDKの中古マンションを購入した。
1台分契約した駐車場にはモデルチェンジする前のトヨタの最高級車が停まっている。
転勤を機に、愛車のBMW⑤シリーズを手放して車の無かった弘一朗に、不便だろうからと
純二が用意してくれた。
こんないい車申し訳ない、あんたが乗りなよと辞退したのだが、親父の知り合いから格安で譲ってもらったから、親父も、はらちゃんが乗るならと動いてくれたし、俺が乗るっていったら怒鳴りつけられるだけだよ。そもそも俺はこんなセダンは好きじゃない。
という純二の好意に甘えたのだ。
マンション購入に際して、10年くらいのローンを組みたがったのだが、今まで勤めていた会社を退職したばかりで、設立したての零細企業では審査も通るまい。時間の無駄だと、キャッシュで購入した。
これから結婚するというのに零細企業の立上げに参加する夫と、それを平気で受け止める嫁、どちらも腹が座っているというか、無計画というか・・・。
ちなみに、マンション購入に際し、嫁の両親から支援の申し出を受けたが、ありがたくお断りした。
同じく純二の日々も慌ただしい。
実家のある北九州市と会社設立と同時に借りた福岡市内のワンルームマンションの往復だ。
(この車燃費がいいな。助かる。)
経費でレンタルした一番安い小型車のハンドルを切った。
(これからは、はらちゃんや鏡さんの期待に応えるように必死に頑張ろう。大きなお金も必要になってくる。もっと切り詰めて行かないと。)純二は大きな希望と責任を誓った。
福岡市内にオフィスを構え、株式会社ニュートンスクエアはスタートした。
原田を慕い、当初は6名、その後も含めると、12名程が前の会社を辞め、株式会社ニュートンスクエアに来てくれた。縁もゆかりもない福岡の地にだ。
みな、十分すぎる経験を持ち合わせた精鋭だ。こんなに頼もしいことは無い。
そして期待以上の働きを見せてくれた。
鏡が尽力してくれたこともあり、初月から半期終わったところで、目標を上回る成果を上げることができた。
みんなが笑顔だ。ただ一人、社長の純二を除いて。
「はらちゃん、青木に辞めてもらいたい。」事務所隣の喫茶店で、純二は弘一朗に切出した。
『どうした?やっぱりやりにくいか?何か横柄な態度でも取ったの?もしそうならきつく注意しておくよ。』
青木は前の会社で純二の上司だった。
純二「特別なにがどうこうということではないよ。ただ、なんか社内の輪が乱れている気がする。」
このところ純二は疲れ切っている。それは社内のみなが知るところだ。
弘一朗『そんな理由で解雇は出来ない。どうしたんだよ、いったい?』弘一朗のやさしい問いかけに緊張の糸が切れたのか、今にも泣き出しそうな声で純二は続けた。
純二「もうきついよ。助けてよ、はらちゃん。社長として何をしたらいいのか全くわからない。ついこの前もMMTの部長に怒鳴られたよ。あなた社長でしょうが?ってね。」
弘一朗『どういうこと?』
純二「代理店懇談会の時に、MMTさんと、SUさん両方から、好条件を引き出そうとしていることがバレたんだ。そうしたら、御宅はどちらと取引するんだ。バカにするな。今すぐ決めろってね。それで、一度社内で相談してからって言ったら、さっきのあれだよ。」
弘一朗『そんなの営業のテクニックだろ。いますぐMMTに電話して御宅とは取引しないってこっちから切り捨ててやれよ。』
純二「はらちゃんは社長じゃないからそんなことが言えるんだよ。」
弘一朗『いや、言うね。どのポジションでも。社長だったら尚更だ。けど、そんなことはどうでもいい。ほんとのところどうした?なにがあった?』
純二「なにがって、そういうことの連続だよ。なにより、社内でもみんなの視線が気になるよ。こいつなにしているんだってね。」
弘一朗『冗談だろ。従業員の顔色気にしてどうする。あんた大丈夫か?』
相変わらずだ。こいつは何も変わっていない。こんなことでこの先大丈夫なのか?
そんな、弘一朗のイライラを打ち消すような言葉が聞こえてきた。
純二「もう金がないんだ。助けてはらちゃん・・・・・。」
弘一朗『金がないって、金がないってどういうことだよ。』
強い口調で言われたことに驚いたのか、もう話す気力も失っていたのだろうか、純二は暫し俯き無言であったが、なんとか震える声を絞り出した。
純二「はやいよ、はやすぎる。二人の展開スピードは速い。これじゃおいつかないよ、金も俺自身も・・・・。」
2人とは、弘一朗と鏡である。
弘一朗『はやいって言われてもなぁ、時流に置いて行かれないようにやっているだけだ。結果もついてきている。』
この業界の変動は早い。丁度この頃も業界再編の動きが加速し、今後の事業展開を絞り切れずにいた。
純二「俺はもっとゆっくりとやって行きたかった。いや、いまでもゆっくりとやって行きたい。コツコツと少しずつやりたかったんだ。」
(だったら俺を呼び込むな。アイデアで勝負しているんじゃない。ただの販売代理店をしているんだ。タラタラやっていたらシェア獲得に負けてジエンドだ。)
そう怒鳴りたくなったが、別の言葉を選択した。
弘一朗『俺、金出すよ。』
井川純二は、小さな部屋の半分を占めるクイーンサイズのベッドの上で、何度も寝返りを打った。近頃は朝方になるまで寝むれない。頭を支配するのは常に金だ。
弘一朗からは資金援助の言葉を貰った。ただし、これ以上の話は、弘一朗の鹿児島出張の帰りを待って行うことになっている。
いくら出して貰えるかはわからない、何より、すぐに返済必要な金か、長期的に貸してもらえるのか、はたまた出資か。
そんなことを考えている自分がほとほと嫌になった。
順風満帆な弘一朗の人生を、自分の我儘で、いつ沈むかも知れない船に引きずり込んだんだ。
その上、お金まで出させることになるとは・・・。
それだけでは無い。純二にはまだ弘一朗に伝えていないことがある。
だが、きっと弘一朗は了承してはくれまい。
結局一睡も出来ないまま、話し合いの朝を迎えた。
弘一朗に事務所隣の喫茶店で、現在の苦境を打ち明ける一週間ほど前、純二は実家の応接間で母親と話をしていた。
純二「月末の支払が少し足りないだ。借りてもいいかな?」
母親「少しっていくらなの?この前、貸したお金も返ってきてないわよ。その前の分も。
いったいどういう経営をしているの?うちでお願いしている江藤税理士先生にあなたのところも見てもらっているのよね?一度同席して頂いて、しっかりと話しをする必要があるわね。」
純二「それはわかったから。取りあえず700万円貸してほしい。」
母親「初めの出資金と合計したら、わずか半年で四千万円を超えている。異常すぎるわ。お父さんに内緒で用意してきたけども、そうも言ってられなくなってきたわよ。」
純二「お父さんには言わないで。お願いします。」
母親「そうはいかないわよ。おかあさん、もう手元に現金無いわよ。どうしても必要って言うなら、おかあさん名義の定期預金を解約しなくちゃいけない。あとでお父さんに知れるより、初めからお父さんにお願いしたほうがいいじゃないの?」
純二「それは駄目だ。もう会社なんて辞めてしまえって言われる。絶対に。」
母親「お父さん一人説得できなくて会社、いえ社長なんて勤まるの?」
初めて母親は語気を強めた。そして怒りと、懸念の矛先を別に向けた。
母親「そもそも原田くんはどうしているの?彼がいるから大丈夫なんじゃなかったの?給料だってあなたより多く貰っているじゃない。」
純二「はらちゃんはよくやってくれている。そもそも彼がいなければ取引もして貰えなかったし、給料だって前の会社の半分で来てもらっているんだ。」
母親「取引して貰えなかったほうが良かったんじゃない?とにかくお父さんに自分で話しなさい。そうでないともう無理です。あと、過去に貸したお金を一度清算しなさい。
じゃないとお母さんがお父さんに言うわよ。」
純二は父親を恐れていた。昔から葉向かったことなど一度もない。
父親から怒鳴りつけられるくらいなら、会社を潰したほうがマシだと、本気で思う程に。
それほどに絶対的な存在であった。
鹿児島出張から戻った朝、弘一朗は出社するとすぐに、純二と打合せ室で向き合った。
『いつまでにいくら必要なの?』軽く切出した弘一朗に
「月末までに700万円」純二の表情は暗い。
『わかった。今日出すよ。返済はいつでもいい。借用書もいらない。』
「ありがとうはらちゃん。」純二の表情は暗いままだった。
結局、母親への返済の話は出来ずじまいだった。
そして月末を迎える数日前に、純二の携帯電話に着信が入った。
“お父さん”と表示されていた。
「すぐに帰ってこい。」それだけ言って電話は切られた。
純二は顔面蒼白になりながら、レンタカーを父親の経営する会社へ走らせた。
途中、母親に連絡を入れ、ことの詳細を把握した。
可愛い息子が困っていると心配した母親が、迫り来る月末を前に、自ら父親に相談したのだ。
余計なことをしてくれたものだ。一瞬、母親への怒りが沸き起こったが、父親への恐怖心からすぐに消えた。
父親の会社に着くと、玄関前に見慣れた白のクラウンが停まっていた。
税理士の江藤だ。
父親「座れ。全部お母さんから聞いた。説明しろ。」
純二「・・・・・。」無言で固まっている純二に江藤が助け船を出した。
江藤「社長、お父さんにそのままを言われたらいいですよ。」
純二「会社は黒字です。ただ、入金日と支払日のズレで苦しんでいます。」
そう言うだけで精一杯だった。
父親「それだけか?だったら暫くしたら追いついて、お母さんが貸した金も戻ってくるのか?」
純二「はい。」
父親「でまかせ言うな。お前、資金繰表も見れんのか。」
父親のあまりの迫力に純二も、江藤も一瞬たじろいだ。実際、純二に資金計画など出来ない。
税理士として、息子を任されている江藤は、自分が説明して、この場を収めようと決めた。
江藤「社長、私のほうからお父さんにご説明申し上げますね。あくまでわかる範囲ですので、抜け落ちている箇所などありましたら、補足お願いいたします。」
純二「お願いします。」
江藤「ではご説明いたします。ご子息が行っております業務は、直接お客様からの現金での入金はありません。コミッションとして販売数に応じて手数料が支払われます。
しかし、その機器代金等は取引先から請求されるため、売上に対して、手元資金がとても少なく計上されるのです。結果、純二さんが仰っていたように、黒字に間違いありませんが、資金繰りは非常に苦しくなります。
あとですね、お母さまからの借入金は運転資金の補填として使われたのではなく、その大半は運営2店舗の開設設備資金となります。」
父親「よくわかりました。先生。黒字ではあるが、過剰な設備投資を自己で賄えていない。
よって、返済もできないということですな。」
江藤「その通りです。」
父親「こんな綱渡りの経営、いつまで続けるつもりだ。少し無茶すぎる。お前の考えなのか?
それとも原田君か?」
純二「・・・・・・・。」
江藤「原田さんはほんとによく頑張っていますよ、ねえ純二さん?」
純二「はい。助かっています。ただ、ちょっと強引で困っています。」
せっかく税理士の江藤が収束させようとしていたものを、純二が台無しにした。
母親の疑念に便乗したのか、それとも本音で思っているのか。
いずれにせよ、保身のためか、父親への恐怖のあまりか。
父親「やっぱりそういうことか。それで月末の支払はどうするつもりだ?」
息子が無能な訳ではない、よそに問題があったのだ。と少し穏やかな口調に変わった父親を前に、純二は助かったと思った。
純二「原田君が貸してくれました・・・。」
ついさっき罪を擦り付けた相手が、今度は正義の味方だ。
父親は目をまん丸くして言った。
父親「700万か?ふーん、一度話したい。来てもらえるか?」
純二「はい。大丈夫です。」
その場をなんとかやり過ごした純二は、会社を出るなり、弘一朗に電話を入れた。
「はらちゃん?うちの親父が一度話したいって言っているんだ。日程調整して北九州まで来てくれない?」
人間バレるまでが一番怖い。嘘にしても犯罪にしても何でもだ。
おそらく母親が返せと言っていたお金も単なる脅し文句だ。
父親に伝わったことで、月末の支払が解決したことで、母親に大金を返さなくてよくなったことで、純二は久しぶりに肩の荷がおりた気分だった。
『なんで?』戸惑う弘一朗に純二は
「お金出してくれたお礼じゃないかなぁ」と軽く返した。
『わかった』そう返答したものの、なんとなく腑に落ちない弘一朗は、鏡に連絡した。
『井川の実家のお父さんに会いに行くことになりました。一緒に来てくださいね。』
「へー、一度会っておきたいと思っていた。すごいお金持ちなんだろう?」
鏡は、井川の両親に感謝の言葉でも頂戴するとでも思ったか、なんの疑問も持たず、単純に楽しみにしているようだった。
実際のところ、弘一朗も純二も鏡には、感謝してもしきれない。
『そうだと思いますよー。じゃあ日時は後程ということで。』
こうして、井川家訪問が決まった。
井川の両親との会合は、井川の実家で行われた。
井川は前日から実家へ帰っており、弘一朗は鏡の運転する高級車に便乗した。
井川の父親の口利きで用意して貰った高級車は置いてきた。
夕方前の時間であったが、食事の準備もされていないことを知って、鏡を連れてきて正解だったと、弘一朗は確信した。
『おじゃまします。』
少し古いが、普通の家の三軒分はあろうかという大きな、その立派な玄関を上がった。
母親「いらっしゃい。原田君何年振り?」
原田『ご無沙汰しています。十年位なりますか?』
母親「あら、こちらのお方は?」
鏡「始めまして、株式会社イーロン鏡です。株式会社ニュートンスクエアを担当させて頂いています。純二くんとは前職が同じです。」
母親「そうですか。それはそれはわざわざありがとうございます。どうぞこちらへ」
長い廊下を抜け、重厚感のある応接間の、これまた高級感溢れる焦げ茶色の革張りソファーの中央に、井川の父親が腰かけていた。
軽い挨拶のあと、それぞれに腰かけ、井川の父親が口を開いた。
父親「原田君久しぶりだね。あの頃の面影はあるが、随分と立派な青年になられた。うちの純二とは大違いだ。」
原田「まだまだ右の左もわからない小僧です。ただ、初めて勤めた会社、それと前職が酷いところでして、いろいろな経験をさせて頂きました。その結果、面の皮だけは厚くなりました。」
原田の返答にはほとんど触れることなく、話はいきなり確信に入って行った。
父親「純二から聞いているよ。大変お世話になっていると。今回のお金の件も本当にありがとう。しかしよく貯めていたね700万円も。」
原田『とんでもない。お世話になっているのはこっちのほうです。当初三人で約束した通りに仕事をさせて頂いています。後、ここにいる鏡さんの協力なしでは成立しないことばかりです。無理なお願いを会社へ掛け合ってくれたり、休日返上で、当社の会議に出席して頂いたり、一番助かっているのは定期的にお借りしているお金ですけどね。後、僕がお出しさせて頂いたのは一千万円です。』
弘一朗は設立当初からの約束、言い換えるならば予定通りに仕事を進めていることを強調
した。決して自分一人が無茶を推し進めているわけでは無いと。
これほどの会社を経営している井川の親父ならば、すぐに言葉の意味を理解するはずだと確信していた。あと余談だが、ギリギリでは心もとないであろうと、700万円ではなく一千万円を純二に貸付けていた。
鏡「ちょっと、いいよ。そういうのは」
井川の父親の返答を期待していたのだが、それよりも先に、鏡が反応した。
謙遜するふりを見せながらも、よくぞ言ってくれたと満足気味の鏡を尻目に、純二の父親が続いた。
父親「それは本当に申し訳ない。鏡さん、息子からお名前は聞いておりました。
まさか、お金までお借りしているとは、そのような大事な話、今の今まで知りませんでした。お許しください。」
鏡「とんでもない。まぁ最初に約束したことですし、原田にも毎回きつく言われます。
会社が大きくなるまでは一緒に苦労しろって。」
鏡「まぁでも僕だけですけどね。ここまでするのは。ハハハハ」
実に気持ち良さげに語っているが、鏡は昔から空気が読めない。
井川の父親の顔は、誰がみても一目でわかるほどに紅潮しているが、鏡だけは気付かない。
父親「宜しければ御幾らほどなのか教えて頂けますか?」
鏡「ウーン、今までに3、4回程ありました。金額は都度都度ですが、現在お貸ししているのは300万円だったかな?そうだよね?井川。あれ200万円だったかな?」
純二「300万円です。」
父親「純二それはいけない。どんなに親しくとも社外の方にそんな大金。本当にもうしわけありません。鏡さん。」
井川の父親は、息子に爆発寸前といったところだ。
純二「はい。すいません。」
鏡「いやいや、お父さん。やめてよ井川まで。ほんとうに大したことないですから。」
にやけ顔の鏡はもう、足長おじさん気取りか。
父親「そのお金は私がすぐにお返しします。」
鏡「そうですか?なんか悪いなぁ。」
弘一朗は呆れた。まあ予測できる展開だが。
父親「それにしても、通信のお仕事というのは資金がいくらあってもたりないくらいですなぁ。ハハハ。」
乾いた笑い声が響いた。
井川の父親も流石だ。弘一朗の話はまるで無かったことのように、二度と触れては来ない。
父親「で、どうですか?息子はこのままやって行けそうですか?ちょっと事業展開が早いようにも思えるんですが?」
鏡「お父さん。安心して下さい。大丈夫です。弊社は業界最大手です。純二くんをずっと、ずっと、手厚くフォローしてまいります。
ただ、代理店同士のエリアシェア争いが激化していることは事実です。早いうちにエリアを抑えることが重要です。そうすれば後々、ストックコミッションと言いましてお金がザクザク入ってきます。保険のようなものとイメージしてください。ですから、今、最大限のスピードで投資を惜しまず、確固たる地位を掴むのです。」
今日の鏡は無敵だ。相手の顔色も見ず、誰かに聞いたような話を気持ちよさそうにしている。
父親「そうですか。私には建築の事しかわかりません。どうぞ宜しくお願い致します。」
勝負ありだ。
結局その後、父親が弘一朗の出した一千万円について、また弘一朗の傲慢ともいえる事業
展開について、言葉を発することは無かった。母親も同じくだ。
一方、純二は、この後に始まるであろう父親の説教に怯え、本日の主人公 鏡といえば、
自分が知らず知らずのうちにやり込めてしまった父親を相手に
「あのジャガーは何CCですか?かっこいいなぁ。いつかはジャガーだな。」と相変わらずのゴーイングマイウェイときている。
よくも悪くも本日の主役になるはずだった弘一朗は、庭で煙草を燻らせていた。
(なんだか拍子抜けしたけど、結果オーライだな。担当者である鏡さんからも資金援助を繰り返し受けている、と言う事実をあの父親が知ったのだ。しかも、すべては息子である純二の為にという態だ。今後の資金提供は惜しまないだろう。今日は、鏡に焼肉でもご馳走してあげるとしよう。)
それにしても井川家は、かわいい息子を引きずり込んだ張本人、憎き鏡とは、どうして考えないのだろうか。
実際は、純二の意思ですべてが始まっているのだから文句を言われる覚えはないが、どうして俺に不満があるのか不思議だ。
帰りの車の中、弘一朗は幾度となく回顧した。
それから二か月ほど経ったある日、弘一朗の携帯電話に、見慣れぬ番号から着信が入った。
弘一朗『はい、もしもし』
「俺だ、久しぶりだな。元気か?今福岡にいるぞ。会えるか?」 聞き覚えのあるこの声。
親父だ。
弘一朗『突然どうした?なんで俺の番号知っている?』
光太郎「お姉ちゃんに聞いた。なんか友達と会社やっているらしいな。」
弘一朗『まあ、そんな感じよ。で、どうした?』嫌な予感しかしない。
光太郎「俺も今知り合いと会社経営しているんだ。詳しいことは会って話そう。」
弘一朗『今はいろいろ忙しい。また落ち着いたら連絡するよ。』
そう言って電話を切った。
親父との楽しい記憶なんて殆どない。
成人してからはむしろ迷惑の掛けられっぱなしだ。
何年も音沙汰のなかった親父が、会社経営をしている?駄目だ。不安しかない。
嫌な汗が首筋を伝った。
こちらから連絡するのは辞めておこう。
「おう、俺だ。少しは落ち着いたか?」
あの電話から二年、いや三年経ったか?弘一朗の携帯電話に、掛かってきてほしくない人から電話が入った。
そう、原田幸太郎。弘一朗の父である。
「今、福岡市に来ている。今から会えないか?」
『わかった。16時に大橋のフォルクスな。わかるかい?』
「わからんが、適当に調べていく。じゃあな。」
短いやり取りを終え、今なら大丈夫だろうと弘一朗は思った。
会社設立から四年、未だに大きな事業案件がある時は、資金に困ることもある。
しかしながら、井川純二や鏡庄司と駆け抜けてきた年月は、株式会社ニュートンスクエアを売上13億円を超える規模まで成長させている。
今なら親父に多少の無理難題を押し付けられても、冷静に対処できる。
いや、まだなにかを、お願いをされると決まったわけではないが、立派になった自分を見せたい。そんな考えを持つようになっていたのかもしれない。
しかし、この傲慢な弘一朗の思い込みが彼を終焉へと誘う。
ここからの二年間はまさに階段を駆け下りるかの如くだった。
待ち合わせの駐車場に着いた。
親子なのだが、酷く緊張する。井川家のそれとは全く別物だ。
元々、物心ついた時から、父親と会話した記憶があまりない。
駐車場に停車した車中の空気が、酸素不足で息苦しいとの錯覚を覚えて外へ出た。
すると間髪入れず声がした。
「よお、元気か。車が変わっていたからわからなかったぞ。」
『ああ、取りあえず中に入ろうか。』
光太郎の問いには答えず、そそくさと店内へと入って行った。
ウエイトレスがお水を持ってオーダーを取りに来てもなお、弘一朗の酸素不足は収まらなかった。
「好きなもの食え」
久しぶりにあった30才になる弘一朗を、まるで子ども扱いだ。
『アイスコーヒー』自分でも不思議でならなかった。
腹は空いていた。光太郎に「好きなもの食え」などと言われなければ、ヒレステーキでもオーダーしていただろう。
「なんだ?食べないのか。じゃあ、チキンステーキセットお願いします。」
確か、この人はチキンが好きだった。微かな記憶が蘇る。
また何か、そう、ありきたりな親子の会話を投げつけられては面倒だ。弘一朗が口を開いた。
弘一朗『そう言えば会社やっているんだろう?どんな感じなの?』
光太郎「お前相変わらずいい車のっているなあ。」
弘一朗『そうか?会社経費だ。つい最近乗り換えたばかりだ。』
光太郎「最後に会った時はフェアレディZだったろう?」
弘一朗『いつの話だ。あれから数えたらもう三台目だ。』
光太郎「そうか?Zのあとはどんな車に乗ったんだ?」
「お待たせいたしました。」オーダーの品がテーブルへとやってきた。
父親ペースで進んでいたこの流れを変えるには、いいタイミングだった。
『食べなよ。』
言ったあと特にすることもないので、ぼんやりと光太郎が食事する様子に目を向けた。
丁寧にナイフとフォークを使って白ご飯をフォークの背に乗せて口へ頬張る。
こんなファミレスの食事だ。そのままフォークすくえばいいのに。
特別にイラつく訳では無かったが、ふと思った。
この人は高級店に行った時も、こうしてご飯を口に運んでいたかなぁと、記憶を辿ってみたが思い出せない。
(思い出せなくて当然だ。親父と高級店など行ったことは無い。)
まあもっとも、最近では、それが正しいテーブルマナーではないと周知されているのだが。
光太郎「それにしてもいい車に乗っているなぁ。」
もういいよ。車の話は、そう思ったが言えなかった。
弘一朗『そうだな。一千万円くらいはするかな。』
そう言えば親父が乗ってきた車を見忘れた。
どうしようもない間違った固定概念だと、弘一朗も分かっているが、車で人を判断してしまうことこがある。
勿論、古い車を大切に乗り続けている、とても裕福な方も何人か存じてはいる。
ただ、弘一朗自身は車をステータスとしていることは疑いようのない事実だ。
光太郎「会社、順調なんだな。」
弘一朗『それなりだよ。そっちはどうなんだい?』
この頃はまだ、『おやじ』という単語を使えないでいた。
光太郎「黒田さん覚えているか?あの人が社長で、俺が専務でやっている。」
弘一朗『そうか。なんとなく覚えている。あの人はいくつか事業をやっていただろう?
黒田さんと一緒なら安心だな。確か、うちの会社と同じくらいだろ開業時期は?』
光太郎「ああ、同じくらいだ。けどこっちは全然だめだ。事業自体は良い感じだ。もう少し時間と金があればな。」
弘一朗『良い感じなら良かった。ゆっくり軌道に乗せたらいい。金は黒田さんが出してくれるんだろ?』
光太郎「それがそうでもない。状況が変わった。暫く前から本業がおもわしくないみたいだ。その煽りを俺の会社も受けている。給料も半年程貰ってない。」
業績が悪ければ報酬など出なくて当たり前だ。俺の会社などと、偉そうなこと言う割には給料は貰えるものだと思っている。
相変わらずだ。人は簡単には変わらない。
弘一朗『そうか。みんな大変なんだな。うちも楽ではないよ。まあ、売上だけはそこそこなんだけどな。』
結局のところ弘一朗は、俺は僅か数年で十何億の売上を達成したという事実を、光太郎に伝えたいだけ、いや認めてほしいだけなのかも知れない。
しかも、彼一人の力ではない、井川や、鏡の協力なくしては、成しえなかったことだ。
弘一朗はまだ気付いていない。
彼が蔑みの対象としている父親が、彼自身の投影だという客観的な事実に。
幾らか金を廻してほしい。どうせその類だろうと高を括っていた弘一朗だったが、突然の光太郎の提案に身を乗り出した。
光太郎「金が無いだけじゃない。今まで会社に投資した分をすべて返せと言ってきている。黒田さんはもう終わりだ。うちの事業案件すべてお前に譲る。どうだ、やってみないか?」そういうと鞄から、資料を取り出した。
社長たるものが、出した金返せというのも如何なものかと思うが、共同設立者であり、功労者でもある黒田さんをいとも簡単に見限る光太郎を“怖い”と、率直に感じた。
『今すぐに返答できることじゃあない。資料は貰っていくよ。近々に連絡する。』
レジまで向かうと光太郎は支払う素振りも見せず、先に店を出た。
“好きなもの食え”先程の言葉は幻か。弘一朗は苦笑いを浮かべた。
向かった駐車場で光太郎が乗り込んだのは、何年前に発売したかもわからない、汚れたグレーのセダンだった。
1章:ひかり
2章:友情
3章:変化
4章:親子の関係
5章:勝負
6章:破滅
7章:悟の狙い
8章:父の想い
9章:純二の視点
10章:回想
最終章:闇の真実
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